三河地震・大井国民学校校長先生の疎開日誌   11、

Posted at 13/01/10 Comment(0)» Trackback(0)»

名古屋市大井国民学校集団疎開日誌
  付集団疎開解散後廃校に至る
      故村田茂校長日記帳より
       棚 橋 春 夫 寫(第11回)
       昭和20年5月~昭和51年(三十三回忌)


安喜福会   死亡児童の供養と安喜福会について
 昭和20年5月
      遺族の有志、教職員、町内会等の有志が相集い
      罹災児童の霊を慰めんと計画し、ここに三ヶ寺の名を
      一字づつ取る、即ち安楽寺の(安)妙喜寺の(喜)
      福浄寺の(福)を合わせて安ァ喜キ福フク会と命名した。
      会長 富田甚吉  副会長 杉本金一  三浦源一
      顧問 印牧富士馬、杉山定吉(市議)、戸谷賢一(県議)
      会員の募集は各町内及学童、職員参加の下に続けられた。
      応募者772名の多きに上る。

      収入総額   248,760円
      支出の主なもの
      ・祭壇関係(仏像三体)その他     104,404円
      ・僧侶及来賓関係(遺族全員)費     45,575円50銭
      ・三和村関係費             50,000円
      ・会合費                2,120円
      ・印刷通信費              11,710円
      ・弁償並人件費及其の他         34,950円50銭

合同慰霊祭  昭和27年5月11日
追善供養
      命日の1月13日は極寒の期でもあり、役員、遺族等年々
老年になるので暖かい5月13日(日曜日でなければ13日に
近い日曜日)とし、バス1台に遺族、役員、職員等同乗し
三ヶ寺に現地で分れ、それぞれ供養をなす。帰途
     は三ヶ寺合同乗して帰宅す。三ヶ寺へは「師弟延命地蔵」
(先生が児童を抱きかかえている立像)一体と提灯及付属品と
     永代経料が納められている。年々5月の日曜日には貸切り
     バスで永く続けられ年中行事となっていた。

  * その後、戸谷賢一氏の死去、印牧富士馬氏の死去、会長
    富田甚吉氏一身上の都合等により 昭和35年頃までは続いた
    のが一時絶えた。然し生残り及疎開経験児童は個人的には
    常に香華を絶やさぬよう参拝が続いた。

  * 前故村田茂校長は毎年1月13日は1回も欠かさず参詣を続けられ
    児童の霊前に児童数だけ菓子を供えられ弔われたが
    昭和44年1月31日死去せられ、故村田校長の遺志を引き継ぎ、
    広山譲先生が1月13日に参詣せられている。

  * 教頭岡本久男先生も昭和49年11月23日死去せられた
    村田校長、岡本教頭共に76才で死亡せられたのも
    何かの因縁によるものか。 

  * 青木(旧姓加知春枝先生は右眼の打撲で手術の効もなく
    失明され、現在尾張旭日市に勤務せられしも旧大井校在職
    年数が認められず(現名古屋市教育委員会で)
    同現場勤務の棚橋の証言も無となる。   
  * 故島照太郎先生の奥さんも棚橋と度々参詣を致されしも
    51年3月横浜市で死去された。

三十三回忌法要 
 51年9月
    児童(疎開)、役員、職員発起となりて昭和51年9月19日(日)
    に三台のバスに有志集りて参詣をなす。
    役員4名   遺族28名   職員13名
    一般参列者11名   児童90名
    これにより児童、遺族、職員等の新住所名簿が出来た。

その他
    生涯忘れることの出来ない疎開地に眠る児童の霊を
    慰めんとするもの年中絶えず、遺族の大半は死亡せ
    られしも児童は立派に成人されたので
    今後疎開地へは出かけられることと思われる。
    因みに棚橋は全法名を家に納め毎年法要を営むは勿論、
    朝夕仏前に礼拝している。
                  以上   棚橋  記


大井小学校校歌  作詞 土岐善麿     作曲 青柳善吾

      蛍も 雪も  集めぬ窓を
      御代の 光りは  くまなく照らす
      くまなき 影に  文見る庭は
      気高く 建てり  広らに清く

      広らに 清き  学びの庭に
      御代の み教  たゆまず習へ
      友どち いざや  大井の水の
      とだゆる 日なき  御恵み汲みて

              棚橋春夫 暗譜

   平成25年1月10日(平成25年1月13日の法要を前に)
   HPへ開示のため書き写す   
          (現在の平和小学校卒業生中村允昭)

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