杉丸太の葉がらし

Posted at 13/04/24 Comment(0)» Trackback(0)»

 昨年(2012)11月10日に東栄町三輪地区の山林で20本ほど

実験的に「新月」に杉を切ってもらい「葉がらし」をして

昨日、美浜の「烽火窯」のJ氏のトラックで取りに行った

午前9時に大府駅でおち合い12時前についた

1時ごろから1時間半ほどで積み込み、3時には帰る準備をした

山主のM夫人のお孫さんが東京農業大学に入学され、山の樹を

切り出し其れを売って少しでも「本代」にでもと思ったが・・・

材質が悪くお金にはならなかったらしい

「山」の難しさは深刻である

猪が庭先を駆け巡り、そちらの被害もかなりのものだそうだ

土壌改良の「炭」動物よけの「ネット(のり網)」を

お届けすることになった。

キリストと大国主・中西進

Posted at 13/03/12 Comment(0)» Trackback(0)»

 「宿り木」ホヨのことで中西進先生著書

「キリストと大国主」を古本で捜したら

本代202円送料250円合計452円

1600円の代物であり表紙を開けたら中西進のサインまで!

先日、中西先生に新刊5冊にサインをして頂いたのに

古本?にもサイン?が・・・

 神がかっているのが万葉集・古事記の世界

災害対策訓練

Posted at 13/01/20 Comment(0)» Trackback(0)»

 2013年1月19日「南区役所」指導の大磯学区

「災害対策訓練」があった

学校に近いわが町内がたたき台になりながら

学区のすべての町内会長参加の大掛かりなシュミレーション

の講習会であった・・・

 避難場所の体育館や教室にどのレベルの病人、ペット、被災者

車やテント生活を希望する避難者までどう整理するのか・・・

妊娠中の人への対応、痴呆の方への対応などなど

総理大臣が視察に来る項目には全員「断れ」で一致した

 あとは、対策準備室を立ち上げマニアルを

完成させては如何と思うが・・・ハードルも高そうである

67回三河地震法要西尾市江原町・妙喜寺

Posted at 13/01/14 Comment(0)» Trackback(0)»

 2013年1月13日67年前に起きた「三河地震」の法要があった

参詣者は30人足らず、しかし東京からテレビ朝日、地元から東海テレビの

取材があり当時の体験者の生々しい「証言」を取材された

年々確実に少なくなっていく中で、戦時下で「報道管制の中」

市井の庶民たちはどう生き延びたのか?

原発、津波、地震・・・世界から日本中から援助の手は差し伸べられては居るが

被災者たちの本当の力になっているのか・・・

 戊辰戦争で会津藩はあえて津軽海峡の「斗南」への道を選んだ

餓死するもの、離反するもの多数出るが「日新館」を再建し

子弟の学び舎を復活させた「ならぬものはならぬ」が

「なせばなる」ことを東北の人たちは知っている

「阪神、淡路」「新潟」「東日本」その前に「東南海」「三河」

われわれは過去にいくつものの学習をしてきたはずであった・・・

余り生かされていない?

 政治家も、学者も、本当にこの國のことを考えているのだろうか

しかしながらいつも、こんな馬鹿者揃いの連中に頼らない

賢い民衆がこの國を背負って来たのは事実である。

三河地震・大井国民学校校長先生の疎開日誌     9、

Posted at 13/01/10 Comment(0)» Trackback(0)»

名古屋市大井国民学校集団疎開日誌
  付集団疎開解散後廃校に至る
      故村田茂校長日記帳より
       棚 橋 春 夫 寫(第九回)
     昭和21年1月1日~2月28日


昭和21年
1月1日
    式前に山田会長、杉山、富田、大塚、山田(庄)氏へ
    年賀に行く
    10時焼跡運動場にて開式。
1月7日
    来る11日昨年1月13日地震にて死亡せし三十一名の
    児童及島訓導の追弔会を住職主催にて行ふを以て
    下記の通り父兄出席者及児童の俗名法名を善巧寺住職に報告。
      
福浄寺(五年)
   西堀捨造  釈 即 証 * 鵜飼 満  釈 良 満   

   高橋 薫  釈 蓮 生 * 浅野宣彦  釈 知 宣    

   杉本義直  義直禅童子 * 柘植智夫  智照禅童子  

   岡本康良  釈康誓童子 * 竹内拓郎  明星院拓岸恵道童子  

   三浦重之  釈 重 誓 * 村瀬 稔   光明童子 

   野村 勇  不明

妙喜寺(三年)
   島照太郎先生  紫山光照居士 
 
   伊藤弘忠  釈 忠 源 * 大矢邦男  釈 智 邦  

   加藤文雄  釈文念童子 *北 斗 星  釈 忠 星  

   杉本幸造  幸耀禅童子 * 高橋孝道  孝日飯禅童子  

   柘植泰弘  泰然禅童子 * 戸谷昭二  釈 専 証      

   浅井 弘  明弘禅童子 * 栗田行夫 * 児島鉢朗   

   高橋元夫(3名名前のみ)

安楽寺(三年)
   矢島国正  釈正順童子  * 丹羽 弘  弘禅童子 

   榊原光夫  春学開光禅童子* 光崎由勝  梅心素芳童子

   三浦和子  釈尼妙和童女 * 飯田銀子  釈尼妙銀童女

   杉野貞子  妙貞禅童女  *  鈴木美智代  釈尼美智位

1月11日
   始業式
    三和村にては午後1時より善巧寺に於て震災児童追弔会を
    営む、出席す。聯区代表渡辺一郎、後援会代表として富田、
    大塚(之)、山田庄太郎氏の三氏。
    僧侶―善巧寺、安楽寺、妙喜寺、福浄寺、了性寺、妙安寺、
    長円寺、専念寺の住職、父兄の参加13名
    職員出席者、岡本、広山、伊藤、谷口、加知の5訓導。
1月12日
    臨時特別手当20割支払調書提出、今日より中区給食パン
    配給250個となる配給所は熱田きよめ餅店となる。
1月14日
    午前10時より中区校長会。
1月15日
    マッカーサー司令部よりの注文にて教科書の削除修正を
    本日午後4時半までに学務課に提出のため、各校より訓導を
    集め研究の上校長にてまとめ 区会長が市へ持参する。
1月16日
    午後より学務課を訪問し、岡崎、谷口の増傭の件及び
    山田日出世増傭の件を依頼す。
1月17日
    白川学校に行き大野喜三二君に面会不在につき校長に依頼。
1月18日
    午前9時市役所に視学訪問、矢野の件退職を勧奨。
1月19日
    杉山氏訪問―矢野の件、聯区統合の件、味噌汁の件
    山田会長訪問―山田日出世資格任用に関する件―書類調製、
    聯区統合の件。
1月21日
    故島訓導の奥さんに一時扶助料のことにて来校される、
    請求書を出す。
1月23日
    宍戸氏矢野の件にて来校さる。
1月24日
    後藤芳正方の父傭給受取のため来校。
1月25日
    矢野の件にて岩井視学を訪問、同時に小島書記を尋ねて
    松本訓導の恩給に関する履歴書中の年功加傭の件につき
    尋ねる、県へ同道して指導を受く。
1月26日
    午後2時より中ノ町講堂にて全市教員会を結成式挙行。
1月28日
    午前10時より幅下校にて県召集全市校長会あり。
1月31日
    終日家に在りて学級編制表を作る。
2月2日
    学校へ行く、異常なし。
2月4日
   (  )頃中一番寒い、教員会役員選挙、
2月6日
    午後1時より中ノ町校にて教員会役員選挙。
2月7日
    矢野退職願提出、松本年功加傭上申、

2月8日
    味噌汁給食用薪の件にて中川文教課長を尋ねたれども不成功、
    依って 東加茂郡にて契約しあtる200束を解約すべく
    岡崎訓導に依頼。
2月9日
    味噌汁用薪に件、聯区統合の件を聞くため杉山氏を訪問す。
2月11日
    午前9時より焼跡運動場にて紀元節遥拝式を挙行。
2月12日
    午前10時半より橘校にて中区校長会
2月16日
    午前中橘校にて中区南部校長会
2月18日
    視学と懇談の資料たる職員名簿を作る
2月19日
    聯区に一ヶ所、近接の波寄聯区内に天然痘発生す、学童中
    先日種痘に不善感あるものに明日再種痘なすこととす。
2月20日
    岩井視学出張校長会―新年度に於ける人事の件、
2月22日
    午後岩井視学を訪問―人事の件
2月23日
    傭給受領
2月25日
    午後1時半より中区校長会
2月26日
    岩井視学訪問―伊藤訓導碧海郡へ転出の件、
           豊島訓導の庄内校転任の件
2月28日
    特別賞与受付

三河地震・大井国民学校校長先生の疎開日誌   11、

Posted at 13/01/10 Comment(0)» Trackback(0)»

名古屋市大井国民学校集団疎開日誌
  付集団疎開解散後廃校に至る
      故村田茂校長日記帳より
       棚 橋 春 夫 寫(第11回)
       昭和20年5月~昭和51年(三十三回忌)


安喜福会   死亡児童の供養と安喜福会について
 昭和20年5月
      遺族の有志、教職員、町内会等の有志が相集い
      罹災児童の霊を慰めんと計画し、ここに三ヶ寺の名を
      一字づつ取る、即ち安楽寺の(安)妙喜寺の(喜)
      福浄寺の(福)を合わせて安ァ喜キ福フク会と命名した。
      会長 富田甚吉  副会長 杉本金一  三浦源一
      顧問 印牧富士馬、杉山定吉(市議)、戸谷賢一(県議)
      会員の募集は各町内及学童、職員参加の下に続けられた。
      応募者772名の多きに上る。

      収入総額   248,760円
      支出の主なもの
      ・祭壇関係(仏像三体)その他     104,404円
      ・僧侶及来賓関係(遺族全員)費     45,575円50銭
      ・三和村関係費             50,000円
      ・会合費                2,120円
      ・印刷通信費              11,710円
      ・弁償並人件費及其の他         34,950円50銭

合同慰霊祭  昭和27年5月11日
追善供養
      命日の1月13日は極寒の期でもあり、役員、遺族等年々
老年になるので暖かい5月13日(日曜日でなければ13日に
近い日曜日)とし、バス1台に遺族、役員、職員等同乗し
三ヶ寺に現地で分れ、それぞれ供養をなす。帰途
     は三ヶ寺合同乗して帰宅す。三ヶ寺へは「師弟延命地蔵」
(先生が児童を抱きかかえている立像)一体と提灯及付属品と
     永代経料が納められている。年々5月の日曜日には貸切り
     バスで永く続けられ年中行事となっていた。

  * その後、戸谷賢一氏の死去、印牧富士馬氏の死去、会長
    富田甚吉氏一身上の都合等により 昭和35年頃までは続いた
    のが一時絶えた。然し生残り及疎開経験児童は個人的には
    常に香華を絶やさぬよう参拝が続いた。

  * 前故村田茂校長は毎年1月13日は1回も欠かさず参詣を続けられ
    児童の霊前に児童数だけ菓子を供えられ弔われたが
    昭和44年1月31日死去せられ、故村田校長の遺志を引き継ぎ、
    広山譲先生が1月13日に参詣せられている。

  * 教頭岡本久男先生も昭和49年11月23日死去せられた
    村田校長、岡本教頭共に76才で死亡せられたのも
    何かの因縁によるものか。 

  * 青木(旧姓加知春枝先生は右眼の打撲で手術の効もなく
    失明され、現在尾張旭日市に勤務せられしも旧大井校在職
    年数が認められず(現名古屋市教育委員会で)
    同現場勤務の棚橋の証言も無となる。   
  * 故島照太郎先生の奥さんも棚橋と度々参詣を致されしも
    51年3月横浜市で死去された。

三十三回忌法要 
 51年9月
    児童(疎開)、役員、職員発起となりて昭和51年9月19日(日)
    に三台のバスに有志集りて参詣をなす。
    役員4名   遺族28名   職員13名
    一般参列者11名   児童90名
    これにより児童、遺族、職員等の新住所名簿が出来た。

その他
    生涯忘れることの出来ない疎開地に眠る児童の霊を
    慰めんとするもの年中絶えず、遺族の大半は死亡せ
    られしも児童は立派に成人されたので
    今後疎開地へは出かけられることと思われる。
    因みに棚橋は全法名を家に納め毎年法要を営むは勿論、
    朝夕仏前に礼拝している。
                  以上   棚橋  記


大井小学校校歌  作詞 土岐善麿     作曲 青柳善吾

      蛍も 雪も  集めぬ窓を
      御代の 光りは  くまなく照らす
      くまなき 影に  文見る庭は
      気高く 建てり  広らに清く

      広らに 清き  学びの庭に
      御代の み教  たゆまず習へ
      友どち いざや  大井の水の
      とだゆる 日なき  御恵み汲みて

              棚橋春夫 暗譜

   平成25年1月10日(平成25年1月13日の法要を前に)
   HPへ開示のため書き写す   
          (現在の平和小学校卒業生中村允昭)

三河地震・大井国民学校校長先生の日誌       10、

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名古屋市大井国民学校集団疎開日誌
  付集団疎開解散後廃校に至る
      故村田茂校長日記帳より
       棚 橋 春 夫 寫(第10回)
       昭和21年3月1日~4月14日


3月1日
    食料品について調査
3月2日
    六年生の授業をなす、
3月4日
    給食パンの会計に終日を要す。

3月7日
    青山会計を訪れ教育会預金帳の申告の件を依頼す
    午後1時より中の町校講堂で市教育会役員会あり
    上田氏の労働法及び労働組合法の講習会を聴く
3月8日
    市特別賞与受領、午後1時中ノ町校講堂で米軍教育次長
    ドルウ氏の講演あり。米国国民の教育を極めて概要を
    話したのみにて何等得るところなし.
3月11日
    申告書を認む、来客多し。
3月12日
    中区校長会(午前10時より)
3月14日
    午前10時より中区南部校長会
3月15日
    2年水野京一進駐軍のトラックに曳かれる
3月18日
    俸給取りに銀行へ行ったが支度が出来ていないので明日となる。
    午後1時半より中ノ町校にて教員会予算審議委員会
3月19日
    俸給受領
3月20日
    市にて支払い給料等受取
3月23日
    午後より区教員会組合を橘校にて
3月25日
    午前10時より中区校長会待遇に関する件、
    四月の異動に関する件、聯区の統合に関する件等。
3月26日
    午後女子青年学校の件にて築山視学を訪ふ
3月27日
    午前10時より終了式を行ふ、来賓杉山、宍戸氏。
3月28日
    了性寺、野村、新区長、氏子総代、宿縁寺へ挨拶。
    白山神社へ50円、西浅井へ100円寄付。

3月30日
    西浅井より鳴海へ移転。
4月1日
    岩井視学に面接、山岸訓導退職の件
4月2日
    内藤転任の内申書を本人に渡す。
4月6日
    入試発表、本年は18名第一志望全部合格。
4月8日
    午前9時30分より市召集校長会を橘校にて開催、
    中南、及び千種、南は夜。
4月9日
    新設校への転任に関する書類を波寄校へ発送。
4月12日
    年度末賞与来る。
4月13日
    昭和21年度始業式を行う。
4月15日
    上名古屋国民学校長拝命。愛知県告示第206号により
    愛知県名古屋市大井国民学校廃止のため愛知県名古屋市
    大井国民学校教諭は自然退職となる。
    愛知県名古屋市平和国民学校へ転任職員は下記の通り
    柘植東九郎、棚橋春夫、岡崎武、梅村喜美子。

 平和小学校の由来
    古渡、大井、波寄、正木、草薙、小針学区の統合で六つの
    学区統合で互に睦み合い仲よく平和にという意味から
    平和の名が生まれた。

三河地震・大井公国民学校校長先生の疎開日誌    8、

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名古屋市大井国民学校集団疎開日誌
  付集団疎開解散後廃校に至る
      故村田茂校長日記帳より
       棚 橋 春 夫 寫
10月2日
    午前中児童と宿縁寺境内 竹切れの取方付をなす。
10月3日
    名古屋勤務、本日より橘校を借りて残留組の授業をなす。

10月5日
    名古屋勤務、橘校にて中区校長会、雨は朝から激しく3時半頃
    帰宅のため、金山橋にいきたるも有松以東不通のため橘校に泊る。
10月7日
    午前中寮勤務、明日より御影奉護のため岡崎大樹寺の
    波寄の宿舎に一泊す。
10月8日
    雨天、朝7時、山本(波寄)校長と共に大樹寺を出て挙母廻りの
    電車にて平戸橋駅にて下車、ここよりバスにて足助に至る、
    途中土砂崩壊す。バス通行危険なるところ数ヶ所あり、
    足助より上り山道1里半にして目的地阿櫂村大鷲院に
    着き交替す(1時40分)
10月9日
    今日も雨止まず、朝学校に行き挨拶して帰る。
10月10日
    午後2時大鷲院出発、大樹寺へ5時15分着、これより市電にて
    羽根着、西尾行きバスにて7時10分家に着く。
10月11日
    各寮を巡視す。
10月13日
    名古屋勤務、集団疎開帰還期を30日の予定を市の了解を得る。
    帰りて山田、杉山、富田の三氏を訪問して疎開解散につき打合わす、
    但し山田 会長多忙のため面会出来ず。市より寮へ来客二名。
10月14日
    西浅井白山神社例祭につき午後2時より式に参列す。
10月15日
    集団疎開解散に関する事務のため、名古屋行を見合せ方法上の
    協議をなす。
10月16日
    午前10時より上永良郷社神明社例祭に参列。
    午後2時より疎開解散に関する職員会を行う。
10月17日
    東幡豆の江西校長を訪れ、幡豆郡疎開校長会中止の件につき了解を求む
10月18日
    学校のバリカンを修理、夕方、富田、大塚、山田(庄)の3氏本部へ
    児童帰還に付ての連絡のため来寮さる。
10月19日
    集団帰還連絡のため市役所へ行く、山田会長より懇談会のため
    金壱千円受領す。
10月20日
    集団疎開引上げ報告のため警察、事務所へ行く。
10月21日
    疎開解散となるに付、傭人退職手続きの書類調整す。
10月22日
    午前中、福浄寺、妙喜寺に於て震災死亡学童に告別のため寺詣り。
    午後専念寺、長円寺へ行き院主、及び傭人に疎開解除の挨拶をする。
10月23日
    名古屋勤務、俸給受領書類整理の上、市役所へ行く。
10月24日
    名古屋勤務女子青年学校山田日出世資格講習会出席の旨市へ届出。
10月25日
    児童長谷川明の件にて神戸校宿舎訪問、長谷医院及び
    牧野医院へ集団解除の挨拶を行ふ。
10月26日
    各寮共羽角山に茸狩す、午後4時より三和学校職員と
    送別会のため招かる。
10月27日
    午前11時より集団疎開につき地元に対する感謝会を開く。
10月28日
    帰還荷送り及び馬車一台を出す。
10月29日
    三和小学校にて疎開児の告別式。
10月30日
    午前8時宿舎出発、帰還の途につく、午後1時金山橋駅着。
    学校運動場に至り解散す、解散後市役所に行き報告す。
10月31日
    聯区各方面へ疎開の御礼のため廻る。
11月1日
    専念寺及び長円寺へ見送りの礼のため訪問後名古屋へ出勤。
    東賀茂郡阿櫂村より御影奉還御迎を岡本訓導に依頼。
11月2日
    聯区内に於て授業場を物色し適当のものなし、富田氏、
    大塚氏と共に風呂屋を見る。
11月3日
    運動場に於て午前9時より明治節挙式。
11月5日
    疎開児授業場として盲人会館を1,2,3年用として
    借入れるため坪井氏を訪問す。
11月6日
    市役所に岩井視学を訪へども不在。
11月7日
    今朝疎開児動荷物到着の予定なるも来らず。
11月8日
    本日も荷物来らず。
11月9日
    荷物不着のため、登校の途次、平坂に廻り様子を見る、
    明日多分到着すべしとの事、午後2時より富田氏宅にて
    集団疎開解散慰労会に招かる。
11月10日
    腹の具合悪しき為早退、午後2時頃疎開荷物が到着するが
    明日陸上げとす。
11月11日
    荷下しがあるので顔を出し直ちに帰る。
11月12日
    三和国民学校より甘藷30貫購入。
11月13日
    出勤途中腹痛のため欠勤す。
11月14日
    橘校にて中区校長会。
11月15日 
    国民学校職員に関する調を調製す。
11月17日
    山田、杉山、富田氏訪問。
11月19日
    女二商へ行き学校焼跡の耕地返済方交渉成立。
    山元松枝校長と上名古屋校訪問。

11月22日
    富田、大塚、両氏と共に蟹江へ疎開解除につき謝礼する。
11月24日
    俸給受取り。
11月26日
    元本校、内藤みな子一宮の空襲にて去る7月28日壕内にて
    死したる旨、一宮市天道町1-25石原保太郎氏より通告あり、
    直ちに一宮へ出掛けた、死亡せしはみな子の妹典子と判明、
    何れも一宮第二国民学校の児童なるに付、同校に依頼して帰る。
11月27日
    市役所に行き一宮の件報告。
11月28日
    白山神社新嘗祭(甘酒祭)
11月29日
    市役所へ行く。
12月1日
    午後1時より橘校にて校長会。
12月3日
    昼食後 職員会。
12月4日
    市役所に岩井視学訪ふも不在。
12月5日
    市役所にて岩井視学と増傭の件、転任の件相談す。
12月6日
    亀島校長を訪ねたれども不在。
12月7日
    亀島校長訪問、午後1時より中区校長会、給食、増傭の件。
12月8日
    給食の準備。

12月10日
    本日より給食―カード者だけ但104個のパンなる
    につき順番、幅下校にて新教育方針の講習会あり。
12月11日
    小学校の年末賞与の通知あり。
12月12日
    小使等の年末賞与の書類提出。
12月13日
    パン給食領収証発送。
12月14日
    伊藤(市経理課)来校、所得税金免方を依頼す。
12月15日
    午後3時より中区東田町乾徳寺にて中区長(玉堂四郎)
    の招待あり。
12月17日
    橘校にて中区南部校長の市主催懇談会、年末賞与通知書。
12月18日
    年末賞与の調書提出。
12月19日
    雪降り1尺も降る、今村にて1時間待つ、
    学校へ11時10分に着く、終業式を終る。
12月20日
    年末賞与けってい、本日より1月10日まで冬休み。
12月21日
    職員特別賞与の通知来る。
12月22日
    豊場新田にて中区校長会忘年会、校長特別賞与通知あり。

三河地震・大井国民学校校長先生の疎開日誌     7、

Posted at 13/01/09 Comment(0)» Trackback(0)»

名古屋市大井国民学校集団疎開日誌
  付集団疎開解散後廃校に至る
      故村田茂校長日記帳より
       棚 橋 春 夫 寫
(第7回)昭和20年8月3日~9月29日

8月3日
    名古屋勤務、近藤(正)訓導の転出の件に関して岩井視学と
    面談す。郡部転出は中々困難なり。
8月4日
    名古屋勤務
8月5日
    名古屋勤務、残留学級の授業場として盲人会館を借用すべく            山田会長と談合したるに可能十分なれども罹災者多く
    住するを以て遠慮した方が良からんと思い一応打切る。
8月6日
    古渡疎開地赤坂にて中区校長会、前役員慰労及び新入校長歓迎並に
    杉本前千早校長送別の会を開く。帰途東岡崎にて市電来ず
    2里途(徒)歩にて三和村に帰る。
8月7日
    一色中部国民学校にて推進校研究発表会のため一色まで電車後徒歩
    にて行く途中、空襲警報発令さる。B2910数機づつ2回頭上を通りて
    東進す。豊川工廠を爆撃したるらし。空襲解除後学校へ行きたるも
    10日まで延期したとのこと、直ちに帰部す。

8月10日
    一色中学校研究発表会出席。
8月13日
    名古屋勤務
8月14日
    名古屋勤務

8月15日
    名古屋勤務、正午重要放送―即ち米英に降る。3000年来の
    光輝ある歴史は一段落をつぐ

8月16日
    集団学童帰還の件につき市と連絡のため岡本教頭を名古屋へ遣す
8月17日
    本日も 尚敵機来る。
8月20日
    敗戦国民何等手つかず、宿縁寺にて無為に過す。
    午後3時頃宍戸氏来訪、松本元訓導より恩給請求書
    並に市退職慰労金に関する書類着。
8月29日
    午後3時より宿縁寺にて三和村の戦没者慰霊祭に参列す。
9月3日
    名古屋勤務、地元嘱託手当290円市より交付あり、
    小使(女)より受取り持参の上、岡本訓導に渡す。
    明4日村長に手渡を委嘱
9月4日
    名古屋勤務、小川説教所を本部としたるにつき残留児童は49名に増加す。
9月5日
    名古屋勤務、富田氏の手傳を得て、焼跡の学校金庫を破る。
    中に広山訓導保管の緑色金袋出ず、何等異常なし。
    疎開地に持ち帰る。
9月6日
    了性寺、長円寺巡視
9月7日
    小麦つき、了性寺作業員安藤華子退職につき挨拶に来る。
9月9日
    宿縁寺にて在郷軍人の会合のため児童待避、女子柘植訓導
    引率して了性寺へ、岡本訓導男子引率安藤川へ
9月10日
    午前9時より地方事務所にて幡豆郡校長会の定例のため
    行きたるも12日に延期、帰途バスにて専念寺へ巡視。
9月11日
    岡本訓導連絡のため名古屋へ、夕方魚の配給あるも殆んど
    腐敗している。
9月12日
    幡豆郡校長会のため地方事務所に出席。
9月13日
    名古屋勤務、中区校長会。
9月14日
    幅下校にて市校長会、午後2時より井上前津校長葬儀。
9月15日
    名古屋勤務、市役所に行き近藤正雄転任の承諾書を提出、
    同時に年末賞与の調書を提出す。連区事務所へ行き疎開児童
    への配給品に付き希望申出づ。
9月16日
    男教員(日曜)全員潮干狩のため宿縁寺を受け持つ、
    国語及び承詔必勤の訓話をなす。
9月17日
    岡崎、谷口訓導に召集解除のため帰校
9月18日
    宿縁寺及び了性寺等を巡視す、硝子戸3本倒る。
    長円寺、及び専念寺を見舞う、異常なし。
9月22日
    午前中宿縁寺にて授業、父兄と話し合い3時より
    西浅井白山神社にて終戦奉告祭。
9月24日
    名古屋勤務、残留児童79名となる。
9月25日
    名古屋勤務、残留児童余り増加したるため、小川説教所を廃して
    橘校て授業すべきことを約す。10月3日より実施の予定。
9月26日
    午後2時より三和学校震災志望者追弔会に臨む。
9月27日
    午前中寮にて国語の授業をなす。
9月28日
    午前10時より上永良郷社 神明社に終戦報告祭に参列す。
    午後6年生の国語の授業をなす。
9月29日
    西尾へ行き、従六位なるや正七位なるや官報にて調べるため
    地方事務所及び農業会へ行く。

三河地震・大井国民学校校長先生の疎開日誌     6、

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名古屋市立大井国民学校集団疎開日誌
  付集団疎開解散後廃校に至る
      故村田茂校長日記帳より
       棚 橋 春 夫 寫

6月3日
    本日より三日間名古屋勤務。
6月4日
   5,6年男子、海洋訓練のため、近藤、梅村訓導引率して東幡豆海洋道場へ行く。
6月5日
    名古屋勤務、土屋、小川、後藤、矢野4氏の俸給を小使に依頼す。夜源空院、    了性寺、宿縁寺の三宿舎へ2-3月に至る借上料を支払ふ。
6月6日
    朝より借上料支払に廻る。安楽寺は住職、福浄寺葉住職、妙喜寺は住職妻、     善巧寺は住職、長円寺は住職妻、妙安寺は住職妻、専念寺は不在につき       谷口訓導に渡す。
6月7日
    東幡豆海洋道場を見舞う予定なるも強風大雨のため中止。
6月8日
    東幡豆海洋道場を見舞ふ、帰途西尾縁心寺に立寄り住職に会ひて
    借上料を渡す。
6月9日
    本部にて勤務、名古屋空襲のB29四編隊36機を三和村上空に見る。        未だ裳て聞かざる爆裂音なり。
6月10日
    内藤家の茶を摘む。
6月13日
    名古屋へ勤務、12時頃警戒警報間もなく解除。本日午前9時より市校長会ありし    も連絡なきため欠席す。上半期賞与の通知あり。
6月14日
    名古屋勤務、中区校長会橘校にて。
6月15日
    名古屋勤務、職員上半期賞与内規交付さる。
6月16日
    職員上半期賞与の所要額査定を受く。
6月17日
    職員上半期賞与支出調書を持参せしも不備のため返戻。
6月18日
    岡本訓導賞与書類を持参して名古屋に向ふ。
    西浅井区長辻村賢児氏所有の畑3畝を疎開児童農耕地として
    借入の契約をなす。
6月19日
    借り入れ農耕地の整備。
6月20日
    甘藷植付の準備、夜了性寺に招かる(明日応召の祝)
    夜豊橋空襲、焼夷弾攻撃を受く。
6月21日
    朝、了性寺住職の防衛応召を見送る。
6月22日
    少年団解散。学徒義勇隊結成を三和小学校にて行ふ。
6月23日
    朝5時出発、名古屋勤務、本日は御真影奉護当番なり、7時半金山に着く、
    間もなく警戒警報発令、市役所に急ぐ途中解除、視学に会ふ教学課にて用事の    済む頃警戒警報あるも間もなく解除、午後7時再び奉護に出かけ夜二回警報発令    さる。蚤と蚊と警報にて殆んど不眠。
6月24日
    午前7時半奉護の任務を終り、帰る。岡崎、谷口両訓導、昨日召集令状を受けた    りと聞き、直ちに教育会より餞別を持参して専念寺に至るも己に会へず。
6月25日
    今日も名古屋勤務、午後1時より江西校にて幡豆郡疎開学校長会を行ひ5時過ぎ    終了帰宅す。
6月26日
    本日13時岡崎、谷口両訓導、東海第5部隊へ入隊するを見送るため今村に達し    たる時、空襲のため待避、時遅れたれば、直ちに帰途。
    宿縁寺にて事務を執る。
6月27日
    8時10分三和村発のバスにて名古屋に向ひ、俸給を渡す。

6月30日 
    専念寺勤務。
7月1日
    鈴木三和村助役の父葬儀会葬のため、長円寺に赴く。
7月3日
    名古屋勤務、職員賞与受領。
7月4日
    名古屋勤務、傭人賞与決定通知来る。
7月5日
    名古屋勤務。
7月9日
    夜長円寺老僧に招かる。
7月10日
    専念寺加藤昌彦を本日より宿縁寺に移す。
7月11日
    午後4時頃近藤学務課長視察のため来る。
7月12日
    柘植訓導病気、夜本部にて国語の授業をなす。
7月13日
    名古屋勤務
7月14日
    名古屋勤務
7月15日
    幡豆分会に於て震災のため死亡したる児童慰霊祭が西尾国民学校にて
    行われる。岡本教頭と共に参列す。P51来襲のため神社に待避す、
    機銃弾近くに落つ。
7月16日
    午後7時より名古屋へ行き橘校に一泊。
7月17日
    午前8時市役所前に市内校長会集合、御影奉遷を見送る。
7月19日
    夜岡崎及びB29焼夷弾攻撃、児童宮裏の道路に待避す。
7月20日
    P51 上空へ来襲。
7月21日
市 下山氏の来訪を待つ
7月22日 
    豊田校疎開地(西尾中学)に於て幡豆郡疎開校長会。
7月23日
    名古屋勤務
7月24日
    本日も名古屋勤務の日なるも小型機の空襲頻繁のため出発不能。
7月25日
    本日名古屋へ行かんとせしも西尾まで行きしに空襲のため電車運転取り   
    やめのため中止す。
7月26日
    本日も空襲あり、朝職員会を行ふ。
7月29日
    日曜日、東幡豆海洋道場にて市主催にて関係町村長及び校長招待。
7月30日
    小型機の来襲激し。
7月31日
    小型機の来襲激し。

旅人(たびと)

中村旅人の蕎麦打ちはとても美しい。まるでお作法、お点前のようだ。しかし、決して堅苦しくなく、いつも臨機応変変幻自在。その奥底にはただ純粋においしいお蕎麦を食べさせてあげたい、という熱い塊みたいなものがあって、それを粋な美しさが包んでいる。めんくい夢工房「喜八」のご隠居。

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