今年の持統桜

Posted at 13/04/09 Comment(0)» Trackback(0)»

 今年は桜に限らず気象に随分左右されています

岡崎の奥山田の持統桜も3月23日(土)で5分咲き

28日満開、30日に行くが少々残念、

奈良万葉文化館では昨年3月11日に植えたさくらが

2輪花をつけたとの報告・・・

中西進名誉館長に杉浦銀治先生が「吉川英治文化賞」を

4月11日に受賞される事と一緒に報告・・・

「祝米寿 上皇さくらや 微笑みて」の添削を依頼し

中西大先生にお祝いの一句をおねだりしたら

「米寿の師 上皇桜 競ひ立ち」とおくられた

ありがたいことです

2013年春節in吉良町・上海からのお客様    1、

Posted at 13/02/14 Comment(0)» Trackback(0)»

 2013年2月11日旧暦正月2日に上海からのお客様を

三河吉良町の「粕谷家住宅」「吉良の仁吉の墓」をご案内した

築300年の大庄やの家は壊して駐車場にすることになっていたと言う

ご案内して頂いた花岳寺ご住職のご尽力で「文化財」として

生き残った・・・愛おしい日本人の心と魂

 そのあとで、花岳寺ですごい男の話をお客人から

聞くことになった

 時は、1945年8月15日、場所は中国上海

豊田佐吉の右腕で大番頭と言われた男の話である

その人の名は西川秋次であった

斉藤吾朗画伯の持統桜の絵

Posted at 13/02/01 Comment(0)» Trackback(0)»

 斉藤吾朗画伯がやっと「持統桜」の「絵」を完成させた

画伯らしく絵の中に「持統太上天皇」が鎮座されている

このあたりが、歴史に詳しい斎藤先生の骨頂でもある

702年10月10日の情景がいっぱい詰まっている・・・

壬申の乱、政権を担った天武帝、それを支えた持統さん

45日ものの「三河御幸」11月25日藤原京にお帰りになり

12月13日重体に陥る。

12月22日崩御される(五八歳)

 孫の「文武帝」の為に命を賭けてされた御幸であった

絵の中にこんな想いも読み取っていただきたい

「義の系譜」上杉邦憲氏の講演会

Posted at 12/12/21 Comment(0)» Trackback(0)»

 2012年12月14日吉良町の華蔵寺で第310回吉良義央公毎歳忌があり

そのあと、米沢からお出での上杉家17代ご当主の上杉邦憲氏の

「義の系譜」の演題で講演会があった・・・身内成れど敬称で呼ぶことが

あるのでお許しくださいとの前置きで始まった

 さすがに東大の宇宙工学の先生という肩書きにふさわしい

お話しぶりで分かりやすく理路整然に一つひとつ丁寧にお話くださり

ホールいっぱいの皆さんは満足げであった

上杉家・吉良家・会津松平家・黒田家・秋月家・高須松平家が

265年間の武家の世界をつないだ「義の系譜」を語った

 隠居もこの9月1300キロを走り足利学校・会津藩校

会津松平家墓所・上杉家廟所を巡り上杉教授の

予習をしてきたような「旅」があつた

これも、この時期の「ご縁」なのであろう

大須観音展・古事記1300年

Posted at 12/12/05 Comment(0)» Trackback(0)»

 名古屋の大須観音の国宝「古事記写本」を

名古屋市博物館へ見に行った

本居宣長の弟子で尾張藩士で兵法家・故実家であった

稲葉通邦(みちくに)が九代藩主徳川宗睦(むねちか)の命により

蔵書1万5千点を調査しての結果、いつ写本されたのかを

発見したのだから学者の中の学者ともいえよう

 大須観音真福寺ー尾張藩ー本居宣長ー稲葉通邦

このような背景があったにせよ当時の真福寺の

お坊様たちのレベルの高さを評価すべきであろう

真福寺二代住職信瑜(しんゆ)の弟子賢瑜(けんゆ)が

応安4年(1371)に上・中巻を、応安5年に下巻を

書写したものという。

持統さくらの紅葉

Posted at 12/11/25 Comment(0)» Trackback(0)»

 持統さくらのもみじを写真に撮ろうと

7時前に出掛けた・・・すでに明るくなったので

これは遅すぎた?

着いて地元の散歩されている人に聞いてみると

この時期は昼ごろになっても太陽は当たらないという

「紫色」に染まる時期は?と尋ねても

そんな色にはならないとも言われる?

 2時間近くねばったが・・・自衛隊の戦闘機が

白線を真っ青なキャンバスに描き始めたので

すぐにシャッターを押した

 チョットいい時間かも・・・

せめてのお土産かも

11月6日の画像が一番良かった・・・

1ヶ月にかけての挑戦もこんなところで潮時かもね

第97回晦日そばの会 10人の顔ぶれ

Posted at 12/11/14 Comment(0)» Trackback(0)»

 自由業1、アルバイト1、主婦2、美容師1、宝石のデザイナー2、

そばや1、樹木医1、隠居1、で囲炉裏を囲んでの久しぶりの

豪華なそば会であった。今月の27日に「シークレットオープン」をする

蕎麦屋さんが紛れ込むという誠にうれしい「晦日の会」でもあった

 守り続けたR嬢は8年間も一人で支え続けてくれた

98回は今年12月12日、来年1月11日は99回、2月9日(土)は100回の

満願である・・・彼女がいる限りますます続く気がしているのは

私だけではないようであろう。

中村高校創立60周年

Posted at 12/11/11 Comment(0)» Trackback(0)»

 私の母校、愛知県立中村高等学校が11月2日に創立60周年を迎えた

この日、私は祝賀の会には出られず伊勢の神宮徴古館で閲覧作業をさせて頂いていた

人にはいろいろとやるべき仕事があり、別のところでその人しか出来ない

仕事もあるようだ・・・明治26年というから今から119年も昔の

田中長嶺翁が当時の博物学者田中芳男博士の依頼で掛図を奉献している

徴古館に閲覧依頼を出したら調度11月2日になっただけの話であるが

 決まれば粛々と遂行する・・・二兎を追うものはのたとえ

結果的には満足する所までは1日では出来なかったが明日に繋がった

昨日(11月10日)母校から記念のCDと感謝状が贈られてきた

晴れがましい舞台は皆様にしていただき、旅人しか出来ない

やくざな仕事は私が・・・

サア、新しい草鞋と三度笠で次の旅へ参りましょうか

富士山の5合目・御中道(おちゅうどう)

Posted at 12/10/18 Comment(0)» Trackback(0)»

 10月16日早朝3時に起きて富士山めがけて出発

標高2300~2800m付近を1周していた富士講の道者道で

現在は河口湖5合目から大沢崩れ右岸までのコースが残り

ここの紅葉を楽しもうという・・・富士山と紅葉?

富士山の森林限界にそって歩く水平道だからこの隠居にも

歩けるというもんだ・・・これには不足の内の山の神は

さらに続く大沢崩れの最大の難所を見ないと治まらない?

「君子危うきに近寄らず」毎朝、心経を唱えながら「今日1日

おだやかに穏やかに無事に暮らせますように」と手を合わす

私とは全く違う道を歩く修験道者である

看板に「ふじさくら」という名前を見つけた

 来春は、是非コノサクヤヒメ様に会いに行きたいものである

明治26年、伊勢神苑会へ「農業図解」など掛図を贈る

Posted at 12/10/04 Comment(0)» Trackback(0)»

 田中長嶺翁が明治26年6月、伊勢神苑会へ田中芳男氏の依頼で

「農業図解」「香蕈作り方」など掛図12幅24枚を贈っている

10月27日に隠居の師、炭焼き銀爺さんと伊勢に参拝に伺うに

良い機会と思い伊勢にお尋ねしましたら、およそ120年ほど前の

ことですから・・・捜してみますとのおはなし

 必ずや確認できると信じていますが・・・

農業館はいつ行っても入館者はゼロですから致し方ない?

お米とお伊勢さんは切っても切れないところ

はや、廃館になったとか・・・

旅人(たびと)

田中長嶺翁、持統桜、炭焼き窯、古代米、豊田織機、篠笛、徳川林政史、さらには神社や古文書など、日本の伝統文化に対する好奇心と情熱は尽きることがない。今日も西に東に駆け回っている。

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