62歳の小学生・ハングルへの挑戦

Posted at 08/01/12 Comment(0)» Trackback(0)»

62歳の小学生・ハングルへの挑戦
                                                       中村允昭

私は昨年10月から名古屋韓国語学校の基礎コースに入学しました中村といいます。

私が生まれたのは1945年第二次世界大戦が終った年ですから62才になります。

今の職業は蕎麦職人です。

振り返りますと韓国との関わりはずいぶん前からありました、

長男が小学生のときにサッカーチームを韓国へ送ることになり

長男もこれに参加しました。

ソウルオリンピックではサッカーとマラソンの競技を見ることが出来ました。

その時はソウルの日本人学校の教頭先生が先輩におりましたので

随分とソウルを案内していただきました。

次に岡崎の大樹寺(だいじゅじ)と慶州の仏国寺との友好提携がありまして

そのお手伝いをさせて頂き仏国寺にもお参りさせていただきました。

ちょうどそのとき朝鮮通信使を勉強する機会がありまして

仏国寺から100人近い人が大樹寺に返礼のお参りにいらっしゃいました。

江戸時代の通信使が召し上がったであろうまんじゅうを再現したり

私も蕎麦を打ちをしておもてなしをしました。

この時も韓国語を勉強して皆さんともっとお話しが出来たらどんなに

よかったことかと悔やまれます。

まだ皆さんにも記憶に新しい2002年の韓国と日本の共同開催の

サッカーのワールドカップです。

国と国の間ではすぐにうまくいくということはなかなかないですが、

人と人はあまり時間を必要としません。

韓国の人が日本のチームを、日本人が韓国の真っ赤なTシャツを着て

一緒になって応援をする光景はいまだかってあったでしょうか。

なんという変わりようか、その半年前まではこんなことはなかったことです。

韓国の人には共同開催なんてとんでもないと思われたでしょうが、

終って見れば両国にとってこんないいことはなかったと思います。

そこから韓流ブームが始まりました。

日本のおばさんたちはいまだに韓国のスターを追っかけています。

韓国語を学ぼうとすれば幾度もチャンスはありましたが、

必要としてノックをする勇気は今回が最後かも知れない?

と思っていた矢先「社会人に最適! 楽しいハングル」の

パンフレットが目に飛び込んできたのです。

これは行かなくては何も始まらない「日本語はどこから来たのか?」「お米はどこから?」

「万葉集は?」一気にわたしに韓流がおしよせてきました。

62歳と云うさびついた頭には新しい言葉と文化の喜びははるかかなたへ、

苦しみや、もどかしさが僕の頭の毛を白くしていきます。

でもここであきらめたらもうチャンスはないでしょう。

しかし今できることは絶対休まないことだけ!

「ハイここまで宿題ですよ」といわれても、根気良く辞書を繰り返しひくことしか

出来ない私です。

内緒の話しですが

自分のなさけなさに負けそうになりお酒をのんでよっぱらっている小学生です。

「人生は旅だ」ということばが辞書にありました。

「韓国語で自分の人生を楽しんでみよう」と

今、旅がはじまりました。


                                         2008年1月11日

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