空を飛んだ喜八少年 還暦のたび 四

Posted at 07/09/04 Comment(0)» Trackback(0)»

  二部 九州編

三月九日 関門トンネルを通過する頃から
荒神谷遺跡によってからどうも吉野ヶ里が気に掛かりだしていた。

よし、唐津、伊万里、有田を捨てて吉野ヶ里に決めようとカーナビにセットする。
看板を見ながら走るとおいしいものばかりである、

少し反省しながら吉野ヶ里歴史公園へ、思ったより広いところでよく整備されている。
スタッフも古代人のユニホームを着てあれこれと、教えてくれる。
そば茶を煎じてくれたり当時の饅頭を説明してくれたり、
弥生の土器を作る実演も見る事ができ、なかなか良く出来ている。

堀や建物を見ればすでに城郭であり、
王がいて支配と被支配・・・まさに邪馬台国といってもおかしくはないだろう。

二十年も前になるだろうか可児市の武馬正敏先生(土器の製作者)に作っていただいた
土器で子供たちと赤米を炊いた事がありました。

縄文と弥生を贅沢にも二つ比べての炊飯はもう一度こんな場所でやれたら、
どんなに生きた授業が出来るだろうもっと教育者は考えるべきだろう。

厳かなそして温かみのある縄文、機能と便利性を考えたシンプルな弥生、
湯を沸かしたり、お米を炊いたり、蒸したりするには
はやナショナルか東芝というレベルにも思えるぐらいの大発見と
私は其のとき感動したのを今でも鮮明に覚えている。

今の時代でも、アナログかデジタルかと色々皆さんがおっしゃいますが、
どちらにも良い捨てがたいものがあります。使い分けて何ぼの世界でしょう。

土・石・鉄・銅・木・ガラス・金・銀と実に長い時間をかけて
よくもこんなに使い勝手の良いものをこしらえてきたものだと本当に感心させられる。

人間の英知とたゆまぬ努力はたいしたものではあるが
今の時代だけを快適に暮らせればよいと思って暮らしてはいないだろうか、

これから生まれてくる子孫のことを考えるならばこんな贅沢は許されるはずがない。
冬の寒い中、暖房をきかせて何もTシャツでビールを飲むこともあるまい。

寒いときにはありったけのものを着て我慢をする努力もこれからは必要であろう。
火鉢ひとつで家族が寄せ合って暮らしていたのはそんなに昔の事でもない、

つい五十年ほど前にはどこにでもあった風景なのだ。

何が豊かで何が幸せなのか、少しゆっくり歩く事もいいのではないかと

月暦で暮らそうと平成十七年の一月から「晦日蕎麦の会」を始めて

一年と三ヶ月少しずつではありますが関心を持ってくださる人も増えてきております。

太陽と月どちらも人間にとっては大切なもの、

自然の摂理のなかで反抗しないで素直に生きたらもう少し楽になれそうにも思えるのだが・・・・

吉野ヶ里 一八〇〇才 君は若い
甕棺(かめかん)の ただ立ちすくむ おそろしさ
いにしえの むらさき貝は たれが染め
雄たけびが いまに聞こえる 物見櫓
堀と柵 変わってないかも 弥生も今も
まがたまや かざりし姫は いまいずこ
かまどみて においかすかに 赤米か 

やっと赤米一年生

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