空を飛んだ喜八少年 還暦のたび 参

Posted at 07/09/04 Comment(0)» Trackback(0)»

早朝の萩、松蔭神社は若い禰宜さんが
朝の挨拶をしながら竹箒で境内を掃除をしていたが、

松下村塾はすでに掃除は済み、
戸は全て開け放たれ清楚なたたずまいが、

朝の寒さもありますが凛とした緊張感さえ覚えるのは
あまりにも大変な歴史の舞台でありすぎるためなのであろうか、

建物そのものは大きな台風、地震が来れば
すぐにでも壊れそうなたたずまいなのが
又なんとも涼しげで気持ちが良い、

しかしどんなことがあってもこれをなくしてはならない大切なものであろう。

次の時代を担っていくべき人たちのためにはどうしても

こういう場所は大切に守り伝える義務がある。

松陰先生と晋作のお墓まいりに行く、

師弟がこういう近い所に祀られるのはうらやましい限りである。

でも余りにも短い命・竜馬享年三十二才、わが為すことは、我のみぞ知る。

日本を今一度せんたくいたし申候。

敵なのか見方なのか分からないこの人脈は
やはり竜馬の魅力なのではないか、

山内容堂、後藤象二郎、中岡慎太郎、武市半平太、岡田以蔵、
勝海舟、佐久間象山、徳川慶喜、松平春嶽、西郷隆盛、桂小五郎、

そして高杉晋作享年二八才、吉田松陰二九才とつながるのであろうが、
其のうしろにいる人は何十倍の人脈であろうことは容易に想像がつくというものであろう。

しかし松陰先生は殆ど幽閉の身であったことを考えれば、
其の言葉の強さは何であったのだろうか、

日本海の長州にはそれが理解できる土壌が
元々あったのであろうと思わずにはいられない。

いきなり太平洋側からペリーが来ただけの事で太平洋の波が高くなり、
もともと日本の歴史は日本海を挟んで中国、朝鮮半島、
ロシア、東南アジア、ヨーロッパのお付き合いはこちらが玄関であったわけで
日本海はいつも波が高く

日本の対応の仕方をトレーニングしながらそれなりの情報や知識は
理解して対処できる能力は当然持っていたのであろう。

萩焼の登り窯も見てみたかったが今回は先へ行く事にして少し心残り、
カーナビのいうとうりにただただハンドルを回しているだけなので
聞いた事もない町の名が出てくるのでこれも楽しみの一つかもしれない。

鳥取でこんな事があった。配送をしている運転手の名前が車に書いてあり、
これがなんと読んで好いのか分からず、
悩んでいた所偶然にもトイレに一緒に入る事になり

出てから其の運転手にお聞きする機会に恵まれ解決する事ができたことがあった。
ちなみに彼の苗字は「鷦   」を「ささき」「みそさざい」と読むとの事。
苗字も地名も只付いているだけではないでしょう。

 いまはもう 合併あとの 地名なし
 バイパスや カーナビくんも 空をとび
 苗字こそ わが一族の ナビゲーター
 このくにの 地名と苗字は だれのもの
 日本海 このむこうにも ご先祖が

きちっと「季語」を入れないから旅人に「イエローカード」です
第二部 九州編に続く

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