第六部 釜山から慶州へ

Posted at 07/08/22 Comment(0)» Trackback(0)»

二人は楽しそうに空へ飛んでいきました

お天気も良くなり気持ちのよい景色に
見とれていました

山深いいかにも修行するのに
ふさわしい大きなお寺が見えてきました

大きな石と木をうまく組み合わされた
日本のお寺とはにているのだがどこか違うように
二人は思った

山門に着いて喜八少年が
「御願いします日本からご住職様に
お手紙をお届けにまいりました」

「どなたかな」と大きな若いおぼうさまが
でてこられました

「これをご住職様に」と
三通の手紙をみせました

「わかりましたここでしばらくお待ち下さい」
と云ってお坊様はなかへはいっていかれました

しばらくして「どうぞこちらへ」と案内され
大きな本堂に通されました

何十人ものお坊さまが
拍手で出迎えをして下さいました

ヤタクンも広いお庭へ通されました

ご住職は三通のお手紙を皆さんの前で
お読みになりました

熊野本宮大社の宮司様のお話しをされました

むかし日本の豊臣秀吉軍が
この国をせめてきました
そしてこの仏国寺も戦火にあい焼失しました

そのご無礼をわびてこれからは仲良くしましょう
ということでした

はるかむかしは国境もなく
人は自由に行き来していました

このたびは「八咫烏」を遣って
平和で戦争の無い時代をつくりましょう
とおはなしされますと
お坊様たちは全員立ち上がり
割れんばかりの拍手でなりやみません

いつの間にか若いお坊さんたちも廊下に立って
ご住職のおはなしをきいていたのでした

ご住職のお話しはまだ続きました

日本に仏教を中国と一緒になって伝え
奈良の大仏建立のもお手伝いをして
日本の天皇様のお手伝いに
いつも大勢の朝鮮のひとがまわりにいたのです

さらに驚くことにご住職は
王様の古墳の副葬品の中には
八咫烏の模様がよくつかわれています

これは権威の象徴なのです

日本の天皇様が天皇に即位されたときに
着られるお着物には
八咫烏の模様があるのです

喜八は聞いてても良くわかりませんが
「やたがらす」はとんでもない歴史
があるのだと思いました

ヤタクンをもっと大事にしなければとも思いました

今度は宗家のお殿様のお手紙のお話しになりました

着八少年が対馬の豆酘崎で海に落ち
一命を拾うという
奇跡のお話しをされました

これは朝鮮と日本が国を造る
神話のお話しまでされたのですから
若いお坊様たちはたったまま目を輝かせて
ご住職のお話しに聞き入りました

日本の国造りの神様が
高皇産霊尊(たかみつくりのみこと)で
日本では皇祖(みおや)とあがめられ
農耕生産の神であり
文化のひらかれた知恵の神様でもあるのです

その神様がお祭りしてある
対馬の多久頭魂神社の
赤米のご神田に打ち上げられて
助かったとはなんとすばらしい事かと
ご住職のお話しにもますます熱が入ります

「この偉大な神こそ
わが朝鮮半島新羅あたりから
お渡りになられたと
私は教わりました」

ご住職が日本の
「日本書紀」「古事記」
の世界を講義されたのですから
本堂はまるで別世界となりました

そしておわりに
正使様のお手紙のお話しをされました

いま日本へ
国王様の「国書」をもって
日本の江戸まで往復五ヶ月ほどの旅で
たいへんな道中であろう

お互いに「通信」とは
「信(よしみ)」をかわす意味ですよ

これからは日本とも争いの無い
国どうしでなければなりません

「喜八くん
ヤタクン
本当にご苦労様でした
明日はお寺の中を
ゆっくりと案内しますからね」

また大きな拍手で本堂が揺れんばかりでした

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